▼…「バリバリ 夕張」は、炭鉱から観光への大転換を目指した夕張市のCMコピーとして一世を風靡した。その以前には、誰いうともなくこんな風にも呼ばれた。「夕張 喰うばり 坂ばかり」。炭鉱事故のやりきれなさから、「1発ドンとくりゃ死ぬばかり」と続けられることもあった。平地はネコの額ほどで火山灰が混じり、黒いダイヤがもてはやされる一方で、農業は日陰の存在だった。
▼…ところが、営農不適と思われた「坂ばかり」の自然条件が、夕張メロン誕生のカギを握っていたのだ。「こんな所でしか獲れないものなら、ほかにまねもできまい」。品種改良の起点となったスパイシー・カンタロープは、先人が大正期に一度栽培したことのある品種でもあった。調べてみると、戦時下に「贅沢品」と非難されたのが生産中止の原因と分かった。
▼…眠っていた原石を掘り起こすだけでなく磨きをかけたのも、生産者自身だった。温室物の極上の気品と露地物の経済性をいいとこ取りしたF1(一代雑種)キングメロンは、目標とした静岡産を凌駕した。しかも、農協本来の機能に立ち返り、徹底した地域ブランド化による市場開発を進めた。やがて続出した偽物は、本物の商品価値を高める「引き立て役」でしかなかった。
▼…夕張の挑戦を専修大北海道短大の調査報告書(1987年)は、こう評した。「集約農業への転換によって零細農家もやりようによって自立の道があることを示した。生産者の中に現状打破の意欲がみなぎっていた」。夕張メロンは、「バリバリ」復活だけでなく地域の自立を模索する町や村の未来、そして北海道農業の再生の道をも語りかけている。
(梶)