里山のアート
 
 ▼… 建築家でランドスケープデザインに力を注ぐ山田良さん(札幌市立大学専任講師)のお話を聞く機会があった。3年間にわたってオスロ建築大学で講師をしながら地元の設計事務所に勤めたノルウエーでの体験談はとても興味深く、彼の国の文化や伝統、国民性を感じ取ることができた。
 
 ▼… もう一つ秘かに楽しみにしていたのが、日本の里山の人々とのコミュニケーションを通して意欲的な作品を発表しているランドスケープデザインについての話。特に、2003年の越後妻有トリエンナーレで中里村(現・十日町市)の重地集落に制作した「パブリック・アクセス・ネックレス」は、直接そのベンガラ色のデッキに腰掛けたことがあるだけに、完成に至るまでのエピソードは以前から聞いてみたいと思っていた。
 
 ▼… 重地プロジェクトの第一幕は、「怒る住民との対話」で始まったという。6市町村の税金も投じられる芸術祭の開催に対し、住民の間には元々根強い反対論があった。確かに住民からすると、都会から見知らぬ男が突然やって来て、得たいの知れない造形物を勝手にこしらえ「これがアート」だと言われれば、戸惑いがあったに違いない。
 
 ▼… しかし、山田さんは住民とのコミュニケーションを大切にした。押しつけはしないが、安易な迎合もしなかった。デッキをベンガラ色に染める案に「この村を血で染めるのか」と反発を食らうと、彼らと裏山に登り、集落を指さした。その先には、同じベンガラ色の屋根がいくつもあった。急先鋒に立っていたはずの一人が言う。「うん、この色は悪くない。元々、自分はこれが一番いいと思っていたんだ」
 
 ▼… プロジェクトが目に見えて動き出すころには、最も声高に反対していた者が、一番の理解者になっていた。互いに思いのたけをぶつけ合うことが、実は、反感と対立ではなく理解と協働の序章だった。出来上がった作品は、決して外から持ち込まれたものではなく、そこにあることが何の不思議もないように存在していることは、実際に行って見るとよく分かる。
Column
Column 2009/05/12