来るか 地域主権時代〜藤沢町に見た住民自治の姿

【2.コミュニティの特徴-2】

地域メディア研究所代表 梶田博昭

2002/09/17
(オンラインプレス「NEXT212」94号掲載)

 

 <1>歴史性・地域性〜集落共同体としての基盤があった

 藤沢町一帯は、平安期においては東北の雄・安倍一族の所領下にあり、「前九年の役」(1051〜1062年)の合戦の舞台ともなりました。明治維新までは南部藩に属し、古くからの農村として、住民は地縁関係を結んできました。互いに労働を提供し合う「結(ゆい)」と呼ばれる慣行が地域共同体としての結束を強め、江戸期の「五人組制度」も相互監視と同時に、相互扶助の機能を果たしたようです。

 こうした伝統的な地縁関係が、今日のコミュニティの底流にあると思われますが、特に、藤沢町一帯では度重なる自然災害が、住民間の結束を強めることになったようです。1970年代の自治会組織化で、モデル自治会となった黄海地区は、北上川の氾濫による田畑の泥沼化がその地名の由来でもあるように、人々は結束と役割分担が、定住のためには不可欠だったとされます。

 相互扶助の精神は、集落を単位とした共助の仕組みとして連綿と続いており、これが、新たなコミュニティを形成する上で重要な要素となったと考えることができそうです。

●「連帯の素地」を掘り起こす

  住民同士の連帯意識は、住民参加の基本単位となるコミュニティにとって大きな要素ですが、都市部だけでなく郡部においても地域の一体感や住民の絆は薄れ行くばかりなのが現実のようです。特に、北海道の場合は歴史が浅く、土地への執着が薄い道民性も指摘されています。  しかし、大震災に見舞われた神戸市で、町内会が復興の大きな力になったことからも、生活基盤が重なり合う地域には、住民同士が連携し合う素地は潜在しており、それを掘り起こす工夫が必要と思われます。(藤沢町では、農業振興策や野焼祭のイベントを活用しました)

 

 

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