市町村合併を考える6-1

2001/3/16

 

新・道州制構想  

地域主権に基づく新・道州制論

 

 岩手県の増田寛也知事の呼び掛けに呼応して、東北各県で道州制を視野に入れた県レベルの広域連携の動きが高まっています。岩手県庁には実務者を中心とした検討会が組織され、宮城県の浅野史郎知事は2月の定例県議会で道州制を含めた地方分権の議論を活性化させる姿勢を示しました。  一方、分権社会の先駆的モデルを北海道から発信しようと2000年5月、道庁内に学識経験者らを交えた道州制検討懇話会が設置されました。こうした道州制議論は、合併問題など市町村のあり方とどう関わっていくのでしょうか。

■昭和初期から繰り返し議論

  都道府県制の原点は、明治4年(1971年)の廃藩置県にさかのぼります。当初は地方行政の単位として区を置きましたが、江戸期から自然に形成されていた「むら」を無視できず、府県の下に郡、戸長役場、町村が重なり合った複雑な構造を見せていました。数十戸単位の村が4万を超える中で明治の大合併が進められ、その後の町村合併も基本的には、行政の効率化・機能充実が目的だったといえます。  道州制論もまた、府県を廃止・統合して州をつくるという、行政の広域化・効率化の視点から提起されてきました。明治、大正の大合併を経た1927年(昭和2年)に行政制度審議会が提案した「州方設置案」がその原点で、再編が町村から府県に向けられたともいえます。1970年前後に再燃した道州制論も、どちらかというと交通網の整備などを背景に、これらの延長線上にある議論でした。

 ■松下流「下から変える」

  このころ、廃藩置県を文字って「廃県置州」を提唱したのが、松下電器の創業者・松下幸之助さんでした。地方再編を単なる効率化の視点からではなく、地方分権の考えに基づいて進めようというもので、現在の道州制論の源流ともいえる考え方です。96年になってPHP研究所が発表した「府州制構想」は、松下理念をベースに、分権時代の道州制論に火を付けました。  構想が「管理〜従属」という国と地方の関係からの決別を提唱するように、20世紀の道州制論が広域化・効率化を目指した上からの改革なのに対して、21世紀の道州制論は、地域の主権を重視した下(市町村)からの改革ともいうことができます。

 

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